横浜地方裁判所横須賀支部 昭和49年(ヨ)38号 決定 1974年11月26日
債権者 長尾泰明
右代理人弁護士 高荒敏明
同 陶山圭之輔
同 陶山和嘉子
同 宮代洋一
同 佐伯剛
同 谷口隆良
同 谷口優子
同 若林正弘
債務者 富士電機製造株式会社
右代表者代表取締役 相田長平
右代理人弁護士 渡辺修
同 竹内桃太郎
同 吉沢貞男
同 宮本光雄
同 山西克彦
主文
債務者は債権者に対し金六三万九、四一七円を仮に支払え。
申請費用は債務者の負担とする。
理由
第一、申請の趣旨及び理由は別紙(一)ないし(六)記載のとおりであり、これに対する答弁は別紙(七)、(八)記載のとおりである。
第二、当裁判所の判断
一、被保全権利
本件疎明資料によると次の事実が一応認められる。
1、債権者は京都大学理学部物理学科を卒業して、昭和三九年四月債務者会社に入社し、同年六月から三重工場に配属され、その後、同四四年四月ころから現在まで横須賀市にある中央研究所に配属されているが、その間、同四六年四月から同四八年九月までは大阪大学に出張していた。
2 債権者の入社後の待遇をみるに、入社時から昭和四五年一二月の賞与支給時前までは、債権者と同期の者約一〇〇名の標準的待遇と比べて、資格、等級については差が無く、賞与及び昇給の査定についてはほぼ同じか若干良い(ただし、標準より基本給が五〇円低い年度もあった)取扱いを受けていたものであるが、同四五年一二月の賞与で標準を約四、〇〇〇円下まわる査定を受けてからは、同四六年度の昇給の査定も標準より低下し、又同四七年度までには同期の者のうちかなり多数の者が資格でそれまでの職員一級Aから主事補へ、等級で五級から六級へと昇格、進級しこれが同期の者の標準的取扱いと思われるにも拘らず、債権者は同四八年度になっても昇格進級せず、そのため、同四七年度、四八年度の昇給も標準者より低く、更に同四八年一二月の賞与の査定は、債務者会社と債権者の属する富士電機労働組合との協定で決められた査定幅のほぼ最低の評価を受けている。なお債権者は同四九年度の等級制度改正に伴い、同年度から主事補には昇格したけれど、同期の者の標準よりも低い等級の取扱いを受けている。
なお、昭和四三年から同四八年までの標準者の賞与を除く給与額と債権者のそれとの比較は別表(一)の、又同四三年一二月から同四八年一二月までの標準者の賞与額と債権者のそれとの比較は別表(二)のとおりである。
3、ところで、債務者会社における昇格制度は、社員の職務遂行能力の基礎となる一般的能力および会社に対する貢献度に影響を及ぼすような社内経験の高まりを総合した資質を評価して、社員の配置・処遇に反映させる制度であって、昇格は、ひとつの資格に一定の年数在籍すること、勤務状態の評価が一定の基準を満たすことの二つによって決まり、等級制度は、社員の従事する職務の質と、その職務を通じて発揮される職務遂行能力を評価し、配置・処遇に反映させるものであり、その運営にあたっては社員の年令、勤続年数、性別、学歴等の条件に拘泥せず、職務、能力の評価を基本とするものであり、又昇給の査定は毎年一回、前年三月二一日から当年三月二〇日までを調査期間として、各人の職務処理能力の基礎となる一般的能力、社内経験の高まり、ならびに勤務ぶりを総合的に評価してなされ、賞与の査定については一二月支給分については三月二一日から九月二〇日まで、六月支給分については前年の九月二一日から三月二〇日までの成績によってなされる。
そうすると、債権者が同期生の標準よりも低い査定を受け始めたのは前記のとおり昭和四五年一二月の賞与及び同四六年度の昇給からであるから、時期的には同四五年三月二一日以降の債権者の職務処理能力、勤務状態等に評価を低からしめる事情が発生し、以後引き続きそのような事情が解消せず却って評価を更に低くする事情があったものと考えざるをえない。
しかし、債権者には昭和四五年三月以降、同四六年三月までの中央研究所勤務中に、それまでの債権者に対する評価をことさら低下させ、又は標準より低からしめるような具体的かつ合理的な事情は見当らないし、同年四月以降の大阪大学工学部電気工学教室山中研究室へ出張した期間におけるその研究態度および成績は良好で標準よりも格別低い評価を受けるべきものとは認められず、更に大阪大学から中央研究所へ戻った同四八年九月以後も標準よりも低い査定を受けるような合理的事情は窺えない。
ところで、昭和四五年九月のある日、債権者が中央研究所へ出社した際社内で所携の手帳一冊を落とし、これを拾った社員の手からこの手帳は総務課へ届けられ、同課より債権者の手許へ同日午前一一時ころ返還されるということがあり、これ以後社内の一部で債権者が共産党員ではないかとうわさされるようになった。そして右手帳事件は債権者に対する査定が低下し始めた賞与の査定調査期間中あるいはその直後で、かつ、昇給の査定調査期間中のできごとである。なお、債権者の大阪出張はこの事件から三ヵ月ほど後である同年一二月に会社側から債権者に対し内示されたものである。
4 以上認定の事実関係からすると、債務者会社は前記手帳事件を契機に、これ以後債権者を共産党員とみなし、これを理由として債権者を嫌悪し、昭和四五年一二月以降、賞与、昇給、昇格、進級につき、同期の者の標準的取扱に比し徐々に低い査定をする方法で差別的取扱いをしてきたということができる。
5、債務者会社の全従業員をもって組織されている富士電機労働組合と債務者会社との間で締結されている労働協約によると、「会社は所定の手続にしたがって昇格を行なう」(一七条)、「同一労働には同一賃金を支払う」(六三条二項)との定めがあって、資格、等級制度の運営は前述のごとき基準に従ってなされており、又両者の間では毎年賃金協定が結ばれ、給与の支給基準につき平均査定額と最低査定額とが決められていて、実際にも債務者会社は組合との協定に基づきその枠内で査定を行っていて、賃金の支給基準(特に基本給)と資格、等級制度とは深い関連がある。
このような事実関係及び制度の実際の運用状況からすると、債務者会社にあっては、標準的(これを平均的といいかえてもよい)な能力を有し、勤務成績や会社に対する貢献度も標準的な従業員については、資格、等級、給与につき標準的な取扱いを受ける期待的利益(期待権)を有していると考えられる。
そうして、債権者には先に述べたように勤務能力、成績等に標準を下まわるような格別な事情は存しないから、標準的な取扱いを受けるべきであり、そのような期待的利益を有しているのにも拘らず、前述のとおり思想、政党加入を理由とする差別的取扱いを受けてきたもので、これは労働基準法三条、民法九〇条に違反する違法な行為であるから、債権者は右期待的利益を違法に侵害されたことになる。
6、債権者と標準者とのそれぞれにつき支払われた昭和四五年一二月以降同四八年一二月までの賞与額及び同四六年六月から同四九年三月までの賞与を除く給与額並びにその差額は別表(三)のとおりであり、従って債権者は債権者会社の不法行為により右差額と同額の金六三万九、四一七円の損害を被ったことになる。
二、保全の必要性
本件疎明資料によると次のことが一応認められる。
債権者は債務者会社から支給される賃金のみを生活の資として妻子二人を養っているところ、昭和四八年一一月から同四九年四月までの半年間における家計の収支は約二〇万円の支出超過(ただし、この間四万五、〇〇〇円の社内貯金をしている)で、その不足分は近親からの援助で賄っていて、同年五月から一〇月までの半年間においても、ほぼ同程度の支出超過(ただし、この間七万円の社内貯金をしている)が予想される状態にあり、右一年間の総収入は約二〇〇万円である。そして債権者の家族の生活ぶりは、債権者の経歴、年令、社会的地位からして平均的なものである。又債権者に対する低い査定は今後も継続して行われることが十分に予想される状況にある。
このような事情にインフレーションが昂進し、一般勤労者の生活が逼迫している最近の経済状勢を考慮すると、債権者ら家族の生活を維持していくために、前記損害額の全部について支払いを命ずるに緊急の必要があるというべきである。
よって本件申請は理由があるからこれを認容し、申請費用の負担につき民訴法八九条に従い、主文のとおり決定する。
(裁判官 岩本信行)
<以下省略>